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和歌山初詣紀行  2004.1.1

<紀三井寺に初詣に行ってきました!>

本日は元旦でございます。
皆さま、明けましておめでとうございます〜♪

が、やはりいつものこと、
昨夜は遅くまでおしゃべりしていたせいもあって、
遅く〜に起き出したぱいんは、
朝食 兼 昼食にお雑煮を食べ、
お屠蘇を飲み、おせち料理を食べました。
(なんという家でしょう・・・!)

で、出かけたのは紀三井寺
皆さま、ご存知でしょうか?
ここって、西国三十三所観音霊場第2番目の札所なんですよ!

いつも移動中は夢の中〜♪のぱいんですけど、
ここは、帰省先の実家から30分もかからないところなので、
今回はしっかり起きてました〜(^^ゞ

あっという間に到着です〜〜〜☆
お天気もよくて暖かいので、結構な人出ですぅ〜


紀三井寺は、正式名称は「紀三井寺金剛宝寺護国院(きみいさんこんごうほうじごこくいん)」というそうですが、全国的に「紀三井寺」の名で知られています。

この紀三井寺とは、
「紀州にある、三つの井戸があるお寺」ということで名付けられたそうです。

三つの井戸の1つ清浄水(しょうじょうすい)


日本名水百選にも選ばれています〜☆
お寺の起源は古く、今からおよそ1230年前、奈良朝時代、光仁天皇の宝亀元年(770年)、唐僧・為光上人によって開基された霊刹です。

以来、歴代天皇の御幸があり、後白河法皇により勅願所と定められて以後隆盛を極め、鎌倉時代には止住する僧侶も五百人を越えたと伝えられています。江戸時代に入ると、紀州徳川家歴代藩主も頻繁に来山したそうです〜〜〜♪
清浄水について、ちょこっと面白い話

清浄水は、紀三井寺の山門をくぐって最初の石段を昇ると、右手の方にある小滝です。
この小滝には、
その昔、為光上人が紀三井寺開創の頃、上人の前に忽然として出現した美女が、身を投じて龍に化身したという伝説があります。

また、大正11年、昭和天皇が皇太子時代、この地に行啓した時、「紀三井寺の清浄水が非常に良い」ということで、わざわざ和歌浦の御宿舎までこの水を運んで調理その他の用水に供されたそうですよ。(^^ゞ

今でも飲めるのかなぁ〜?
誰も飲んでる人はいなかったけど・・・

とまあ、それはさておき、がんばって石段を登るぱいん一行。
清浄水のあるところまでの石段は、女厄三十三段と書いてありました。
余裕、余裕〜〜〜♪

次は、男厄四十二段・・・
あれれ・・・? しんどいぞ!(>_<)

そして、最後は還暦六十段
ひえ〜〜〜(+_+)

この石段にも、ちょこっと面白い話が!

この石段は、
「結縁坂」と呼ばれております〜☆
なぜかというと・・・

江戸時代の豪商・
紀ノ国屋文左衛門は、若い頃にはここ紀州に住む、貧しいけれど孝心篤い青年でした。ある日、母を背負って紀三井寺の表坂を登り、観音様にお詣りしておりましたところ、草履の鼻緒が切れてしまいました。

困っていた文左衛門を見かけて、鼻緒をすげ替えてくれたのが、和歌浦湾、紀三井寺の真向かいにある
玉津島神社の宮司の娘「おかよ」でした。
これがきっかけとなって、文左衛門とおかよの間に恋が芽生え、二人は結ばれました。

後に、文左衛門は宮司の出資金によって船を仕立て、蜜柑と材木を江戸へ送って大もうけをしたのでした。紀ノ国屋文左衛門の結婚と出世のきっかけとなった紀三井寺の表坂は、それ以来 「結縁坂」と呼ばれるようになりました〜〜〜!

この人と結ばれたいという恋人ができたら、この坂を登るとよい!
とのことです〜(^。^)
皆さまも、どうぞお試しを〜〜〜!

安土桃山時代(1588年)建立の鐘楼

特別開扉されていて、お賽銭を志納すれば撞かせてもらえるそうです。

さっそくぱいんも、思いっきり撞いてきました!
が、志納したお賽銭が20円だったのは、ショボ過ぎましたけど〜〜〜(>_<)
紀三井寺の樟樹

とても大きくて立派な木でした。
遠く、和歌浦方面からも望見できるそうですよ〜(^^)

写真に写っているオジサマは、全く関係のない人です。顔がよく見えないからいいですよね〜(^^ゞ
ごめんなさい〜〜〜☆

ああ・・・喉が渇いた〜
ぱいん一行は、あめ湯を飲んで休憩です!

まだ紀三井寺は続きますが、今日はここまで。(^^ゞ
次回をお楽しみに〜〜〜★


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